豚がブーブー鳴くのに近い愚行

5月革命について調べるはずが漂流しています。

吾輩は無知である

1968年のレヴォリュシオンをその光において見出し、その勢いを用いて“見切り発車”し、革命一般の特性としてまず融合性(「我等」「彼等」の消失)と覚醒(「彼等」の出現、「我等」の誕生)とを看破した本ブログであるが、

 

正直、私は5月革命についてあやふやなイメージを持っているにすぎない!

 

ということはつまり、どういうことか。確実に調べて行かない限り、その論は抽象論に終わる。いかに完全に見えたとしても、それはただの祈りであり、思考のお遊びにしかすぎない。

 

もちろん私も、そのことを知らなかったわけではない。私なりに映像を探したり、ウェブサイトを見つけようと試みたりはした。しかしそこで立ち現れるのが、フランス語、Le Françaisの、歴史の重みを担った言語の壁である。

 

私としても、フランスに来て早くも10カ月が過ぎようとしており、もう完全にわかるようになっていてもおかしくはないのである。私としては、3カ月くらいで大体は覚えられるんじゃないの、と思っていたのである。

 

だがその歩みは、物音を恐れるキツネのように遅々として、私はやっと単純でくだらない笑ってばかりの会話を続けることができるようになっただけなのである。それは根本的には、私が決定的な他者に会っていないことを意味している。

 

言語とは他者である。

 

とにかく、フランス語がそれほど自由でないということは、調査の足を引っ張る決定的な重しである。私は仕事柄、手っ取り早く物事を調べることに慣れてしまっているので、そういう手が使えないのが、不自由に感じてしまう。

 

しかし、できないものはできない。だから、私のフランス語と同じようなのろさで、資料をゆっくりと噛み込み、5月革命の謎、この得体の知れない時代に迫っていきたい。