豚がブーブー鳴くのに近い愚行

5月革命について調べるはずが漂流しています。

安倍首相の対米「霊属」的世界観

日本のことを本気で考えているのは官僚である。
と思い込んでいる官僚が操っているのが日本である。
日本政治もまた官僚が操ってきたわけだが、
その官僚が無能になったことが、日本の無能の王たる内閣を形作っている。

官僚は職人ではない。
官僚はプランナーである。
という明治の時代からの自負が彼らにはあったわけで、それが時に有能な政治家をも生んできた。
むろん左翼者は嫌われ、さらにはソ連崩壊で行き場を失い、果てつつある。

そのプランナーたる官僚が摩耗したのは、資本主義のせいであろう。
資本主義を信じている人間などバカばかりだということを知っていたのは官僚だった。
だが国家が資本主義に飲み込まれたことで自我を失った日本官僚集団の自意識は、米国から見て「いい日本」になりきることと化した。
これが敗戦国の意識でなくてなんだろう。

だがここには奴隷のような服従の恥の意識はない。
むしろ自分の罪に全く無自覚な赤子のようなまっすぐの自己肯定感こそがある。
このいわば透明たる「霊属観」が最も体現されているのが、安倍晋三という「AKIRA」である。

この人は世界中を回っているが、ただ一つの世界にしか逢っていない。
「国際社会」すなわちその青春時代の数年かを過ごした「米国」である。

この人の歴史認識を問う人もいるが、岸信介が外祖父であることが象徴しているように、この人の戦前と戦後は全く無反省に繋がっている。
このようないわば狂人、誇大妄想者を頂点にいただいている国が近代国家と言えるのか。
日本という国家は安倍の個人史ではない。

しかしこの赤子たる安倍を可能としているのは大衆の無意識なのである。