豚がブーブー鳴くのに近い愚行

5月革命について調べるはずが漂流しています。

主観性から客観性へ

主観的な情緒は何も変えない。
物事を変えるのは客観的な認識である。
だが客観的な認識には客観性という暴力が付されている。
主観から逃れつつも客観には至らない。
そんなあり方が必要とされている。

例えばヘイトスピーチが問題になっている。
これは非常に情緒的でありながら、客観性を身にまとったものの典型である。
そしてこの存在そのものが、そういった社会の存在を浮き彫りにしているのである。

これを禁止するというが、それは事実上できないだろう。
実際にはこれらのヘイト団体は禁止されないギリギリの言論を続けて行くことになる。
これを禁止しようという試み自体がなし崩し的に終わる。

実際には、ヘイトがあり得ないような多文化主義教育が必要となるが、それを腰を据えて行うような余裕も思想も日本にはない。
さらに首相周辺の言動からはまさに狭窄した客観主義を標榜する主観主義が漏れ出てくるのだから、この国の前近代性は露わになる。

我々は情緒の主観を越えなければならない。そして客観という嘘にも騙されてはならない。残るのは変化し続ける客観である。変化をもたらすのは常に他者である。