豚がブーブー鳴くのに近い愚行

5月革命について調べるはずが漂流しています。

佐藤優の「イスラム国」解釈について

シリアやイラクにかけて広がっている「イスラム国」について、佐藤優は、これを断固として否定し、ひとかけらも同情することなく、世界の連携によってつぶさなければならないと訴えている。佐藤優がそう訴えるのは「イスラム国」が世界イスラム革命を広げようする組織であり、交渉の接点があり得ない団体だからだという。これに関して中田考氏のような「テレビに出ると絵になるゲテモノのようなのを面白がって出しちゃだめだ」と主張する。そしてそれはまずもって、日本人からテロリストを出さないためだという。(以上、私の佐藤優理解)

 

まず断っておくと、私はテロリストのような破滅的な行動は評価しない。思想のために自分を犠牲にすることは、自分のために思想を犠牲にすることだ。私はどちらかというと、佐藤優のように立場を選べる人間と比較すれば、立場を選ばなかったり、選べなかったりする人間にすぎない。

 

単刀直入に言えば、私は、佐藤優の「イスラム国」解釈に軽い疑念の兆しのようなものを持っている。佐藤優はテロリストに同情するなというが、デモ弾圧で相当の人間を殺しているエジプトのシシ大統領や、ガザ攻撃でやはり民間人を殺してしまったネタニヤフ首相の横で、「テロリストには屈しない」と胸を張ることが果たして正義か。イラクを独裁国家だからとうそぶいてぶっ壊し、その傷跡から膿み出てきたイスラム国なる化け物を新型兵器で追跡している米国と「対テロ戦争」を語ることが正義だと、世界に対して大きな声で言えるのか。

 

米国は確かに強い。日本の「国益」を考えるならば、米国ともほどほどに協力し、中国ともほどほどに距離を取り、中東には触らぬ程度に介入することが、最善の策と言えるのかもしれぬ。しかし。しかし。しかし。しかし。そうした汚れにまみれ、「対テロ戦争」という嘘をなぜあなたが宣伝しなければならないのか。真の光によっては、人は動かされないと考えているからか。佐藤優さんに引力を感じている一人である私はまあそんなことを思って歯がゆく思う。そのすべてが妄想である可能性もあるわけだが。

 

私としては「イスラム国」は狂気の団体であると同時に、ある種の夢をも与えているのだと考える。そしてその夢は、私たちの住んでいる世界の歪みが生み出した夢なのだと考える。神の下の絶対的な平等。分かち合い。慈愛。私たちの世界から資本主義が削ぎ落としつつある何か、何かしら絶対的な何かを、彼らは受け取ってしまっているのである。こうした衝動を「良い方向」に向けることこそが、私たちの社会自体を癒していくのではないか。そうでなければ、テロはこれからも生まれ続け、強国の代理戦争はこれからも深刻化していくと考える。