世界の新たなる構築の前夜
Facebookのような偽善的な世界は嫌いだ。
ああいうものを見ていると、世界がほとほと嫌になる。
べたべたとはりついてくるような「私」を不特定多数に投げつける。
ウェェとなる。
しかし一方でそれは、そのまま受け止めて、認めてもいい世界でもある。
おめでとう。よかったね。ケーキがおいしかったんだね。子どもが三歳になって、とっておきのケーキを買ったんだね。
だが私はそこに「いいね!」を押したり、褒め言葉でしかないコメントを書くその不自由な自由さに、その言論の窒息に、ほとほと嫌になる。
戦争が起ころうとしている!
こっちの船に乗れ!
そんな言葉しか書く気がなくなる。
だが人々は耳を傾けることなく、自分の周りの自分の匂いのする世界の匂いを嗅いでそれをみんなに見せている。これいいでしょ。これでいいでしょ。
人間が飢えで死ぬ世の中だというのに?
Nammamidaboutz
さよなら、昨日の世界よ。
明日の世界へと私は飛び立つ。
そして明日の世界から、あなた方に呼びかけ続けるだろう。